武田八幡宮摂社・若宮八幡宮
永久2年(1220年)武田信義公の弟である加賀美次郎遠光によって建立されたものです。祭神は、仁徳天皇(応神天皇の御子)が祀られています。 |
武田八幡宮末社・為朝神社
病魔退散・厄神除け・子供の健やかな成長を祈願する神社
鎮西八郎為朝公を祀った神社です。為朝公死後、身内である信義公によって建立されたものです。為朝公は古今未曽有の強弓の武人といわれていて、保元の乱(1156年)には父に従って奮戦したが敗れて捕らえられ伊豆大島に流されました。ある時一人の老翁が筵に乗って流れ着き、「我は疱瘡の神で、先ごろ京都で疱瘡を流行らせこの島に流れてきた」という。これを聞いた為朝は声を荒げて「我この島にありて万民を撫育し国家安全を守っている、汝早く去るべし」と、弓矢を向けると、老翁その弓勢に恐れて低頭再拝して退散した。その後大島で疱瘡は発生しなかったという。そのため為朝神社が疱瘡の神として信仰されるようになりました。徳川家康公ご入国の際も参拝し、「御武運長久・疱瘡麻疹安穏」を祈ったといわれています。 |