御由緒
八幡宮の起源
伝えによれば今からおよそ1200年前、弘法大師がこの地へ来られた時、山を背にした中空へ八幡神(八幡大菩薩)が現われ、「我をこの地に祀ったならば国家は安泰であろう」とお告げがありました。その後、弘法大師は京へ帰り嵯峨天皇に八幡神のお告げがあったことを申し上げました。
八幡宮の創建
弘仁13年(822年)嵯峨天皇の勅命により、武田武大神(日本武尊の御子)を祀る祠を桜の御所から現在の地に遷宮し、九州の宇佐神宮(八幡総本宮)を勧請、合祀し創建されたのが起りといわれています。その後、貞観年間(859~876年)には京都石清水八幡宮の御霊を社中に勧請しています。
甲斐武田家の発祥
甲斐源氏の流れをくむ、新羅三郎義光のひ孫・龍光丸は13歳の保延6年(1140年)武田八幡宮の神前で元服し、武田太郎信義と名乗りました。これが名門甲斐武田氏の発祥です。信義公は広大な館を構えるとともに、武田八幡宮の本社・末社など御建造され武田家の氏神として尊崇しました。
パワースポット
キャメレオン竹田さんが選ぶパワースポットに指定されています。
御祭神
武田武大神(日本武尊の御子)…足仲津彦命と兄弟
誉田別命(応神天皇)…八幡大菩薩・文武の神
足仲津彦命(仲哀天皇)…応神天皇の父・武の神
息長足姫命(神功皇后)…応神天皇の母・安産の神
御利益
鎮懐石伝承
胎中に、のちの応神天皇を宿しながら新羅の遠征中に産気づいた神功皇后は、出産を遅らせることを願い腰に卵型の美しい石を2つ着けておまじないとし、筑紫国に凱旋してから出産しました。そのため安産の神として信仰されています。
勝負運に強い神
応神天皇は、八幡大菩薩とし清和源氏の氏神となったことから武家の間でも大変篤く信仰を集めました。そして戦の時には必勝祈願をし数々の勝利をもたらしました。そのため勝負運に強い神として信仰されています。